インタビュアー:上田
対談相手 小林彩子さん:10年来のお客様でもあり、「クラブ小羊」「豆種菌」のキャラクターを手がけたプロデューサー

--------今でこそいくつもの飲食店を経営する横山さんですが 飲食業界に足を踏み入れたきっかけは何ですか?

【横山】

きっかけは・・・私が30歳のときです。

好奇心旺盛だった私は、「あれもしたい、これもしたい」と、 20代でなんと9回の転職を経験したんです。


その後、自分で何かやりたいと思い独立することを決めたのですが・・・

貯金もほぼない状態でした。


そこで、やりたい事は決まっていないまま、まずは3年間で500万円を貯めることを決意しました。


今までは物を買う事が大好きだったのですが、いっさいの物欲を捨てて、貯金をする事に専念し、

そして、33歳、決心してから3年後、、やりたい事は明確にならないまま、、、500万円が貯まりました。


貯金していた3年間、物欲は我慢できたのですが、美味しいものを好きな仲間と楽しむ事は我慢ができないという事に気がついたんです。

「私は、好きな人と、おいしいお酒を飲んで、美味しいものを食べることがすきなんだ!」

と思い、

1997年、自己資金500万に融資500万、さらに親戚から300万の借金をして

合計1300万円で食業界に飛び込んだのです。


--------第一号店はどんなお店を作ったんですか?


【横山】

恵比寿の町が大好きだったのですが、その当時あったお店がみんな似たり寄ったりで、

行きたいお店がなかったので、自分で行きたいお店をつくろう!という事で、

[201号室]という名前のお店を作りました。

その名の通りで、ビルの2階の一室です。


初めての事で、内装なんかも行き当たりばったりでした。

心地よい時間をお客さんにすごしていただくことだけをイメージして作っていったお店で、料理の種類なんかはぜんぜん決めていませんでした。

【小林】

空間がほしかったんだよね。

【横山】

お友達の紹介で知り合った料理人さんが、なんでもできる方だったので、その当時珍しかった、創作料理をだすことにしました。


--------お店は最初からうまくいったのですか?


オープン1ヶ月目からは一回も赤字になった事なく、

金銭的な問題はありませんでした。


ただ、料理人さんとはよくぶつかりました。

私自身料理ができず、経営も素人だったのが原因だったと思います。


しかも、365日絶対に休まないと決めて働いていたので 疲れからの苛立ちもあったかもしれません。。


悩んだあげく、まず、私が現場を抜ける事がお店の成長につながると思い、

そして、素人のまま経営をはじめてしまったため、勉強のため、他店に修行にいきました。


--------2件目は?


2件目はいざとなったら自分ひとりでもできるようなお店を作ろう、ということで作りました。

「続201号室」という名前にしたかったので、恵比寿で2階の物件をさがしました。


部屋の中におでんの屋台をいれて、おでんバーをしました。

七輪を出して、お客さん自身で焼いて食べてもらう、というスタイルにしました。


小林さんとの出会いのお店でもあります。

【小林】

看板がないということで、隠れ家的な雰囲気で、自分だけが知っている、という感覚で、、、。

嬉しくて、友人をつれてきたりして、、、。

電話もおいていないようなお店だったので、常連さんが多くて、みんな友達になりました。

一歩踏み入れると、世界が違う、昭和の場末のガード下という雰囲気でした。


--------3店舗目 4店舗


2件目は、人に頼らずともできるお店にと思ってやったのですが、

信頼して任せることができる仲間との出会いがあり、3店舗目、4店舗を出しました。

東横線の高架下に耐震工事で立ち退きになってしまった中目黒の「村上製作所」と「豚鍋研究室」です。

改めて、仲間の大切さ、人を信頼する大切さを学びました。

【小林】

町工場のような内装だったり、、、工事途中の掘建て小屋?(笑)みたいな。

とにかく、飲食店という感じではなくて、でも、お料理はおいしくて、お客さんは、とても喜んでいましたね。

インターネットで検索しても出てこない店でした。

口コミだけで広がっていった感じです。


--------閉店 201号室 → リニューアル


料理人さんの交代やお客様に飽きられてきたというのもあり、、、

いっきにリニューアルしようと言う事になりました。


中華料理のできる女性の知り合いが、偶然にも面接にきたので、

女性スタッフだけの中華料理屋さんにしました。

【小林】

いつも、人ありき、場所ありき、という感じで、偶然が多いんですよ。

中華の飲み屋というのもかなり珍しかったですね。


--------リニューアルのタイミング


【横山】

いけてるときは、お客さんや従業員みんなの顔がいきいきしている。


でも、いきいきしていない

店がくたびれてきている

内装に飽きている

このお店生きてないな

メニューがマンネリ化している

と感じると、、、


売り上げが落ち始める、、、


リニューアル!!!


恵比寿の1号店は「201号室」→「中村昭三」→「中村圭太」→「中村玄」と13年間で3回リニューアルしています。


--------なぜ看板を出さなかったのですか?


【横山】

看板のある店というのは、

こちらから誘いをかけているので、お客さんが受動的に来店します。


しかし、看板がないお店と言うのは、

自分で探して積極的に、能動的に来店します。


これは、飲食店に関わらず

仕事や恋愛もそうだと思うのですが

自分で決め、能動的に行動したことは

受動的なものより長続きもするし、思い入れも強いと思うのです。


その結果、リピートのお客様に繋がり、長く通っていただけると思っています。


--------ジンギスカンブームにのって


【横山】

「続201号室」をジンギスカン料理「Club小羊」にリニューアルしました。

オープンしてから半年ほどで、予想通りジンギスカンブームが到来。

お店は大好評でした。

連日連夜、行列ができるほどです。


恵比寿のお店だけでは人が収まらず、

渋谷にも「club小羊 渋谷店」をオープンしてこちらも大盛況。


さらに、下北沢、沖縄にもお店をだしました。

しかし、ジンギスカンブームは半年ぐらいしか続かずに、

売り上げは坂を転けおちるように急降下、お金もあっというまに底をつきました。

初めて、辞めようかなと思った瞬間です。


でも、仲間が支えてくれました。


ジンギスカン屋は現「月世界」に代わり、

その後、1年間はずっと赤字で辛かったですが、

店長やスタッフがあきらめずに支えてくれました。

【小林】

常連さんは、新しいお店ができると、どんなお店なんだろう?と足を運ぶお客さんがたくさんいました。

沖縄にもいきましたよ!


--------看板出したお店について


【横山】

一度だけ、看板を出したこともあるのですが、、大失敗でしたね。

オープンから1年間、ずっと赤字でした。

そして1年後には閉店。

看板のついた普通のお店を出すと、なぜか失敗します(笑)


--------今後の展望は?


【横山】

これからも看板を出さないという姿勢は変えるつもりはありません。

でも、12年〜13年前とは時代が変わっているということも事実です。

実際、看板を出さないというお店も増えました。


ただ居心地がよいとか、ただお料理がおいしいとか、ただサービスが良いとか、ただコンセプトがおもしろいなど ごまかしが効かない、シビアな時代になっていると思います。


だからこそ、私は半歩先の食探しが必要だと感じ

ています。


お客様の気持ちになって

行き過ぎず、遅すぎず、半歩先の食を探していきたい。


いきなりコアラ食べれます!とかいっても、はやりませんよね、、、(笑)

かといって、今はやっている料理もだめ。


お客さんが、こんなお料理を出すお店を待ってた!というような、半歩先の食を提供していきたいです。


--------今、注目している食はあるんですか?


【横山】

今は発酵食に注目しています。

時代にも流行のサイクルがあるように、

食にもサイクルがあります。


ただ、日本人の原点でもある発酵食、

いわゆる味噌、醤油、ぬか漬け、麹漬け、甘酒など、

昔からある食、いわゆる原点はすたれないと思うのです。

食は、健康、美容の直結してくるものです。

だからこそせっかく食べるなら健康、美容に良いものを食べて欲しいと思っています。


そのうえで、付加価値で看板がないとかコンセプトが面白いなどを

打ち出していければと考えています。


今後は地に足をつけた仕事をしていきたいです。